LIVE NIRVANA INTERVIEW ARCHIVE February 19, 1992 - Tokyo, JP

Interviewer(s)
Toshifumi Morita | 森田敏文
Interviewee(s)
Kurt Cobain
Publisher Title Transcript
Crossbeat #47 Nirvana Rock The Nation - Part 1, Kurt Cobain Interview Yes (Nihongo)

俺たちはコマーシャルだ!

遅れてきたバン少年カート・コバーンは、どのように孤立感から逃れ成功を手にしたのか?

インタビュー◉森田敏文 協力◉丸山京子

取材日、バンドが投宿しているホテルのロビ ーで、カメラマンの池田氏と打ち合わせをして いると、パジャマにカーディガンをはおり肩か ら袋をさげ、サングラスという姿のカート・コ バーンがフラフラとやってきた。 殆んど入院患者 にしか見えない緩慢な動きでフロントへ向かう。 彼が何者であるかを知らないその交を追う一般 人の視線は、無論 “近づくと危険" というもの だった。 しかし、「できるものなら無関係でいた い」という印象は、ニルヴァーナの音楽とも非 常に近いところにあるはずだ。 アメリカの出口 のないような病巣をあぶり出し突きつけるガサ ガサしたロック・サウンドは、60年代アメリカ 黄金期の復活を夢みる白人中産階級にしてみれ ば、そうとわかっているだけに近づきたくない もののはずだからだ。 しかし、現実のアメリカ 社会は、立て直しの猫予期間を与えられまま、 ズルズルと地滑り的な悪化を辿る一方なのだっ た。 結果、ニルヴァーナのロックは、そこに二 重三重にリンクしたのである。

フォト・セッションのために用意された部屋 へ、弁川龍之介の短編集と三島由紀夫の「金閣 寺」の英訳本を持ったカートが一番先に現われ た。 本誌を手渡された彼は、あたかも日本語が 読めるかのように丹念に目を通し、ページを繰 っていく。 撮影が始まり、カーディガンは脱い だものの、池田氏がパジャマの上着を脱いでく れないかと注文をつけると、これが俺のスタイ ルだから、と拒む。 1967 年 2 月20日生まれの夢 遊病者が初めて見せた意志がこれだった。

◉ まずはどんな家庭、環境の中で育ったのか教 えてください。

育ったアバディーンはちっぱぽけな町でね、(地 の地方紙を手に) この)条聞の消きが人日を物 語ってるよ。小るな所に人が押し込まれてるっ て感じで、木材の伐採だけで成り立ってる町だ。 家族は両親と 2つ下の妹。俺が 3 年生の時に両 親が次婚してから、 父親、 母親、 親類の家を点々 として暮らしていだよ。 高校 3 年の時アート・ カレッジの奨学生にって話があっだんだけ ど、

友達とアパートを借りてバンドを始める道を選 んだんだ。だから高校は卒業 2 ヵ月前に中退っ てわけ。 シアトルの大学に行ってアートを勉強 するより、バンドの方が俺にはずっとエキサイ ティングだったからる。アバディーンはバンド をやるにしても何もない町だ。 そこからオリン ビアに引っ越す決心をするまで一一シアトルか 60マイル くらいの所だけ どー一結局、 3 年か かったな」

◉ 田舎町であるアバディーンから飛び出したい という欲求を常に抱えていたんですね。

「ああ、間違いないね。アバディーンには音楽 への理解なんてこれっぽぱっちもなかっただし、住 民はヒネクレててしかも偏狭、典型的アメリカ のレッドネック気質なんだ。俺は自分と全く異 質の人間に取り囲まれてた。だからフラストレ ーションはたまる一方で、友達も少なかった」

◉ そのフラストレーションが音楽へ向けられる 以前、つまりプレイし始める前はメチャクチャ 暴れ回るタイプだった?

「さっき親戚の家をタライ回しにるれだと言っ た理由がそれる。 反抗的だということで学校を 中途退学させられたり、転校させられたり。刑 務所送りまでは行かなかっだけどね。もっとも 別に悪人だっだわけじゃないぜ。だただやっちゃ いけないとされてだことをやってたのさ」

◉ 9 歳の頃は異常に活発で、鎮静剤を必要とし ていたそうですね。

「ああ、リッドレンという錠剤きる。ハイパーア クティヴな子供で、そこらじゅう駆け回っだり 叫んだりして、両親からも先生からもうっとう しがられていだよ」

◉ そういう子が、いつどのようにして音楽に目 覚めたんですか。

「音楽は昔から好きで、お気に入りの表現手段 だった。 5歳順からビートルズのレコードを聴 いてだよ。 もっとも持ってたのはビートルズだ け。で、 5 年生の頃にエアロスミスやレッド・ ツェッペリンを聴き始めたんだ。バンドには昔 から憧れてて、最初はドラマーになりたかっただ んだ。 でも中学のバンドでドラムをやってみて 『俺にはリズム感がない」って自覚したのさ。 で、ギターに持ち換えたら、これが凄く自然に 感じられだんだ」

◉ 自分が他の子とは違って音楽的に特別な才能 があるじゃないか、という感触もあった?

「うん。初めてギターを手にした瞬間から 「『凄く 楽にできるな』」という感覚はあっただよ。 と同 時に自分の曲を書き始めるべきだということも 直観的にわかったんだ。俺と同じ位の年頃でギ ターを弾き始める子供は、大抵コピーをまるこ とでスケールやソロの練習をするけど、俺は違 うと思った。『バンドをやるだためには自分の曲を 書いて、早くから自分のスタイルを作らなきゃ ダメだ」、 そう思ったのさ」

◉ アバディーンでは83年頃ようや〈くパンク・ロ ックが入ってきたと以前言ってましたけど、ビ ートルズやツェッペリンに馴れ親しんだ耳が、 パンクに出会った時の印象はどんな感じだった んでしょう?

「それまでの何よりも一番大きな衝撃、 影響だ ったな。 表現手段しして、これ以上深くてまで目 分の胸に訴えをかけてくるものはないと思った。 それまではずっと頭のどこかで、俺の 主観とか モラルとか感情が他の人の平均条なものとはズ レまくっているという違和感、同じ波長を持っ た人間がいないという孤独感に襲わんれていただん だ。 地球上で俺は独りぼっちなんじゃないか、、 とね。でもパンク・ロックに出会って、ようや 〈生きる意味、友人をみつけた気がしたんだ。 どん な音楽よりも俺に語りかけてきたからさ。アグ レッションを抱えんきれないほど持って、それを 体外に出きなきゃ自爆しそうだった俺にとって、 ほんとパンクの怒りは救いだったんだ。 実に建 設的な意味でね」

◉ そうなると、パンク以降あなたの作る曲や演 奏スタイルも、それ以前と全く違うものになっ たでしょう?

「ああ。でも面和日いことに、最後にはパンク・ ロックを知る前のスタイルに逆戻りしたよ。つ まりパンクに与えられただ誠実さ、怒りとかは失 わなかったけど、今はどんな種類の音楽にも感謝 出来る音楽ファンになれた。 子供の頃は音楽 を自分の性格やライフ・スタイルの口実にして いたからなあ。 だからパンク・ロッカーだった 頃は、パンク・ロック以外は総てクソだと否定 してただた。エアロスミスもレッド・ツェッペリン もしまいこんで一切聴かなかっんだ。 でも86年 頃かな、古い60年代の背楽を再び聴き始めだ 時、その良さにハッと気付いたんだ。捨てるべ きじゃない、とね。だから今は、俺の中に蓄積さ れたものを自然にミックスできている。 良い 音楽なら何でも聴くさ。カントリーだろうとフ ォークだろうとクラシックだろうと。パンクな らパンクだけ、へヴイ・メタルならへヴイ・メ タヴだけを自分の逃げ道一一 言いかえるとライ フ・スタイルにしている 子が俺達の背楽を聴い て、他のジャンルに対しても目を向けるように なっててくれればいいと思うよ」

◉ つまり、エアロスミスを捨てた時期に作って いた曲は、どバンクだったんですね。

「ああ、 もろバンク・ロック。デイーヴォとか スクラッチ・アシッドっていう和感じだっだな。 でもメロデイにはハード・ロックやピートルズ の影響すらあったと思うよ、地が出るっていう かる。 でも86年以降はエアロスミスが好きだと いうことを友達に知られても、恥ずかしいと 思わなくなったんだ」

◉ 最初にクリスとバンドを縮成した時……。

「いや、その前にメルヴィンズ (同郷で最初の パンク・バンド) のドラマー、デイルと初のバ ンド “Fecal Matters” を作っだんだ。 当時のデ モも・テープの曲のいくつかはニルヴァーナの曲 になってるんだけどね。クリスと俺とアーロン、 因みにこいつが初代ドラマーだ (と前述の地方紙 に大フィーチャーの写真を見せる)、 3 人で 俺の家に集まって 3カ月練習して、今度は"Bliss" というバンド名でタコマでステージをやった。 10ステージくらいやっだんだけど、優柔不断の 俺達らしく その度に名前を変えてね、“Tedded Broad “Pin Cap Chew” “Skid Row"(笑)とか さる。で、ようやく最後にニルヴァーナに落ち着 いたんだ」

◉ 当時は勿論音楽では食べていけなかったでし ょう ? ミュージシャン以外であなたの腹を満 たしてくれた仕事は何だったんですか。

「いつも空腹だった(笑)。 掃除夫、守衛、ホテ ルのメイド、YMCAで子供達に水泳を教えてい だこともあるんだぜ。今の俺からは全く想像で きないだろうけど、アハハ」

◉ (笑)ところで、ニルヴァーナとしての音楽的、 商業的成功に対しては様々な解釈がなされてい ますが、その成功はロックがまだ信じるに足る ものであり、ロックを聴いている人間の感覚も まだまだ捨てたもんじゃない、という印象を与 えるに充分だったと思うんです。

「ああ、そういってもらえると嬉しいよ。 『俺達 は大衆にはアピールしないアンダーグラウンド・ バンドだ』」と主張する気はないんだ。 実際、色 んな意味で俺達はコマーシャルなんだと思う。 アンダーグラウンド・アティテュードに固執し て、一般大衆を否定するつもりもない。何にし み平均的な人達というのは音楽の好き嫌いは抜き にしても、良い曲、クオリティが高い曲を察知 する耳というか、そういう感覚は持っている ものだからさ。 一般的、 平均的な人達に対する 俺達自身の考え方も変わっただよ」

◉ ミュージシャン側からの賛辞も尽きることが ないですよね。 ニルヴァーナに対して否定的な 意見は皆無に近い。 そういうのって逆に鼻持ち ならないな、って気分になりませんか。

「ああ、確かに気色悪いよ。中には俺がツバを 吐きかけたくなるようなバンドからちも褒められ ちまう。 例えばポイズンとかスキッド・ロウと か、 さ。でもまあ、もしかしたら個人的には人 の好い連中なのかもしれないから『ヘタなこと は言わずに黙ってだ方がいいのかな』なんて思った りもする(笑)。もっとも音楽は最低だけど ね。だから奴等にラヴ・コールを送られて も、 正言あんまり嬉しくはないな。 それより、無名 ではあって もアンダーグラウンド・シーンのバ ンドのサポートが嬉しいね。俺はそういった奴 等の方に友人的な感情を覚えをるし、だとえ面識 がなくても同胞って気がするんだ」

◉ では逆に、この人連に支持されて嬉しかった という特別ながミュージシャンはいますか。

「うん、R.E.M.。ピクシー、ソニック・ユー ス、アージ・オーヴァーキル、メルヴィンズ、 少年ナイフ、マッドハニー、なんかだな」

◉ 今、名前があがったバンドはあなたが同胞意 識を感じるバンドと言えますか。

「ああ、互いに相容れるというか、やってる音 楽も同じジャンルだと言えるな。俺達のサウン ド、曲作りにおいて、彼らの音楽は大きなイン スピレーションになってるんだ」

◉ ところがニルヴァーナは、そういう同胞連と はケタ違いのセールスをあげてしまったわけで すよね。いくら自分較が変わってないと主張し たところで、 取り囲む状況は確実に変わってし まった。 そういう現実にも今はある程度慣れて、 『これを受け入れるしかないな」という心境に なってきているんでしょうか。

「う〜ん、俺達だけが異常に売れちまったこと に対して、最初は罪悪感を覚えたよ。でもまあ その心境を乗り越えるには、今ようやく充分な 月日が経ったってところだね。俺にはどうも出 来ないし、『アイム・ソーリー」と言ったところ で、どうしようもない。こんなに売れちまうこ とは、俺達3人も思ってもみなかったことだか らさ。 何せ誰よりも驚いているのは俺達自身なん だ」

◉ こうやって話しているあなたを見てると、レ ニー・クラヴィッツがアメリカでブレイクした 頃、銀行口座から金がいつ引き落とされるかも 知らないくらい私生活に無頓着、自分の興味が ある創造活動だけに没頭する、そんなタイプの 若者が増えているというリポートがあったので すが、まさにドンピシャという感じがします。

「うん、金よりもアーティストを目指すって意 味でなら、間違いなく俺はそんな人種だろうな。 これから入ってくる金の使い道も全く想像出来 ないくらいだ。バンド仲間のサポートに使うこ と一一あとは家を買いたいけどーその程度の 保証があればあとはいい。 もともと俺は物質主 義者じゃないからね。ショッピング・センター を歩いても、買いたいものは何もない。とりあ えず車はあるし、ちゃんと走ってくれてる。保 守的に聞こえるかもしれないけど、生まれてく る赤ん坊のために貯金するんだろうな。あとは 気に入っだバンドに投資して協力したいね。俺 は昔からいつも貧乏だったから、またいつ貧乏 人に戻れと言われても大丈夫さ。ゼロの状態で もきっとハッピーにやっていける。この5カ月 で愛というものを知って、今は心の底から恋し ちまってる。 愛する家族がいれば金がなくても 生きていける。 それには馴れてるんだ」

◉ ホールのコートニー・ラヴと婚約したとは聞 きましたが、子供も生まれるというのは初めて 知りましたよ。

「そうかい? 今はもう特に驚いてもいないし、 結婚というヘヴィなものを控えた恐怖心もない。 同時に父親になるってことにも納得してるよ。 これほど自分にピッタリだと思える相手に会っ たことはなかっだから、とにかく 俺にできるこ とは総てやって、もっとハッピーになりだいと 思っだんだ」

◉ いずれにしても、これから慕大な金があなた の懐には転がり込んでくる。 そうなると使い道 が解らないと言ってられなくなると思うんです。 しかも、 自身のライフ・スタイルを変えなけれ ば、それがまた批判の対象になってしまう。例 えば大人金持ちのブルース・スプリングスティー ンやプライアン・アダムスが相変わらずTシャ ツにジーンズを着ているだけで槍玉にあげられ るとか。あなたも今はバジャマ姿を自らのライ フ・スタイルだと言えても、それが演出だとい つ何時非難されるかわからないでしょう? そ ういうジレンマに耐えられそうですか。

確かにそうなる可能性はある。でもそれはそ れで引き受けるしかないんだろうな。俺は着た いものしか着ないし、絶えず自分の着るもの気に をつけてるタイプでもない。 ワードローブの 中身だって高価なものは何 一つないよ。 60年代 の古着とかが好きだから、 買物は行きつけの店 や古着屋専門だ。 それに無頓着というか 好き でもないバンドのシャツさえ、 もらうと着ちゃ ったりするからなあ, もう少し気を遣うべき なのかもね。 中には『カートが着てるなら、あ のバンドの音を聴いてみよう』 と、レコードを 買ったらどうしようもないクズだっだ、なんて こともあるかもしれない。 それからスプリング スティーンやブライアン・アダムスの個人的思 想や政治的観念は、俺達のそれとは全く違うぜ。 彼らの音楽は単調でコマーシャルで、保主的な 一部の層一一それが厄介なほど多いけどー一に 向けられだものだ。好きでもないし、俺には何 の意味も持たないよ。スプリングスティーンは ポーズだけの人間さ-一つエピソードを教えて おこう。タコマという町があるんだけどーーク リスの地元だ一そこは工業都市で、金属工場 があるせいで町中がひどい悪臭なんだ。タコマ に入ると車の窓を前めるってくらいにね。何せ 野も育てられないほどと金属が土に染み込んで るんだ。 それでも住んでいれば慣れちまうもの らしいけど。とにかくそこでスプリングスティ ーンはコンサートを予定してた。彼の売り文句 は、地に足のついた現実家で、労働者階級で上 業都市の出身者だろ? ところが彼は、匂いに 耐えられなくなってコンサートをキャンセルし たのさ。をそんな話を聞く と、彼の主張するよう な 平均符労働者" と本人はだいぶ違うんじゃ ないか、 と思うね」

◉ なるほど。ところでソニック・ユースはニー ル・ヤングとツアーして、ロックンロールの古 い世代と新しい世代が相互に影響し合う形をス テージで証明してみせましたが、あなた達はそ うしたパンク以前からやってる古いアーティス ト との交流についてはどう考えていますか。 「う〜ん、若かった頃のレヴェルを今だに保ち 続けているバンドは思い浮かばないな。ザ・フ ーとかは勿論尊敬してるけど、バドワイザーの ような大企業にしスポンサーシップを許しちまっ てることに変わりはない。つまり音楽ビジネス の中にどっぷり漬かって服従しているわけだか らさ。新しめのR.E.M.やピクスシーズなんかと は何かやりたいと思うけど、古いバンドはいな いな。アンダーグラウンドのバンドなら一緒に ツアーしだい連中はいっぱいいるし、これまで にも何度かしてるよ。ジーザス・リザード、キ ャプテン・アメリカ、ジャド・フェア……」

◉ 実際ニルヴァーナはぶっちりて先頭を走っ ているわけですから、彼らのための牽引者にな ってやろうという意識の方が強いのですね。

「そうさ。 年寄りはやり方、考え方が頑固だか らな。 どうせなら彼らの子供達の世代に影響を 与えたいよ。そっちの方が影響を与える確率も グッと高いさ」

◉ これまで不思議なことに誰も訊いていないよ うなのですが、「ネヴァーマインド」の最後に離 れ小島のように収録された曲 "エンドレス・ネ ームレス" の意図は何だったんでしょう?

「だだ好きな曲だっだから、アルバムの残りの 曲同様にレコーディングしただける。だだし"エ ンドレス・ネームレス" ってタイトルで呼ばれ ているのは気にいらないな。 本来は無題の曲だ っだのに、ある時点で誰かが勝手にそう名付け ちまったんだ。元々の意図は “おまけの1 曲、 意外なプレゼント"というだけさ。 CD をかけっ 放しでうとうと眠ってしまった奴が、10分後、 突然始まった騒々しい音楽に叩き起こるれるっ て寸法だよ。 実際、 アルバムを買って 1 ヵ月後 まであの曲の存在に気付かず、知った時はびっ くりしだという奴らは多いみたいだな。ま、ただ だでシングル 1 枚、手に入れたいみたいなもんさ。 そういえば、昨日のステージで聴衆を抑えよう とした警備員から懐中電灯をむしりとって、権 力に対する抗議の意味でしばらく奴の顔を照ら してやっだけど、そういう規制外を許す余裕も 絶計必要だと思うからさ」

© Toshifumi Morita, 1992