LIVE NIRVANA INTERVIEW ARCHIVE November 26, 1991 - Bradford, UK

Interviewer(s)
Yoshiyuki Suzuki | 鈴木喜之
Interviewee(s)
Kurt Cobain
Publisher Title Transcript
Rockin' On KURT COBAIN interview NIRVANA Yes (Nihongo)

僕らの音楽にはパッションがあるけど、ガンズンにあるのはファッションだけさ ブラックサバス + ベイ・シティ・ローラーズの掟破りの合体殺法、聴かせるハード・コア・トリオ、ニルヴァーナ見参! インタヴュー=鈴木喜之 通訳=STEVE HARRIS

ニルヴァーナが売れている。メジャー・デヴュー・アルバム『ネヴァー・マインド』を聴いた時、これは将来性ある!!と確信を持ったが、現在同アルバムはカレッジ・チャートで1位を独走、11月13日付のビルボード誌では、何と4位にランクインされている。快挙だ。 ノイジーなギターが売り物のインディー・パンクバンドは今やうじゃうじゃいるが、その多くがいたずらに騒音をまき散らすだけに終始しているのに較べ、トリオ編成のニルヴァーナが叩き出すシンプルでシャープかつタイトなサウンドはそれらの有象無象と確実に一線を画している。 凶暴なパワーをきちんと楽曲に組み込んで聴かせることの出来るバンドなのだ。 どんな奴なんだろうと思ってインタヴューに臨んだのだが、実際に電話に出たのは単なる田舎者であった。 大都市における情報過多が、ミクスチャー・ロックのようなニュー・パワー・ロックを生んだのに対し、田舎者の情報過疎が、極めて純度が高い夾雑物なしのハード・コア・ポップを培ったのである。なお、来年初頭には来日も決定した。

-これまでもインディー・レーベルで活動してきて、かなりの評判を集めていましたが、メジャー・シーンでも「ガンガン成功してやるぞ!」という気持ちですか。

「そういうのはあんまりないね。僕らは別にもっと人気者になりたいとか、もっと成功したいとかいう野望を持ってるわけじゃない。確かにこれまでのところ、インディー・シーンではかなりの人気を得てきてはいるわけだけど、そういうのはどうも面映ゆいね…ちょっと出来過ぎって気がして。もしもこの先、今以上の成功を手にすることができなかったとしても、あんまり気にはならないと思うな」

-インディーズというのは、メジャーへの一つのステップに過ぎなかったのですか。

「いや、インディーズをメジャーへの踏み台と考えていたわけではないよ。そりゃあ最初は、とにかく何が何でもレコードを出したかったから、インディー・レーベルに頼ったわけさ。だけど、それでうまくいったから、さあメジャーに移ろうか、ってんで移ったわけじゃない。僕らは出来ればずっとサブ・ポップと契約を続けたかったんだ。だけど、彼らは僕らの希望する条件に見合うような契約を呈示することができなかったんだ。だって実際、悲しいもんがあるんだよね…ツアーへ出ていろんな所へ行くだろ?すると行く先々でファンに言われるわけだよ、『どこへ行ってもニルヴァーナのレコードは売ってないんだ』って。そういう状況をどうにかしなきゃって、ずっと悩んでたんだ。それが今ではすっかり解決したわけだ。だから、基本的にメジャーに移ったのは大正解だったと思ってるよ。自分たちのレコードがちゃんとレコード屋に置いてあって、ファンがやって来てそれを買っていく…そう考えるだけで何だかとっても嬉しいんだよね」

-あなた方はシアトルの出身だと聞いているんですが、どういう音楽環境で育ったのですか?

「シアトルと言っても、僕らは正確にはシアトルから60マイルくらい離れた、アバディーンという町の出身なんだ。ほんとに小さな田舎町でね、パンク・ロックなんて誰も見たことも聞いたこともないようなところだった。僕らはシアトルまでロック・コンサートを聴きに出かけるようになって、そこでパンクを知ったんだ。シアトルには、パンクの格好をした奴も大勢いたからね。レコードもたくさんシアトルで仕入れたよ。レコードを手に入れるっていうのは、その頃の僕らにとってすごく大きな意味のあることだったんだよね。つまり、僕らが育ったアバディーンみたいな小さな町では、音楽に関する情報を手に入れるにはレコード屋に行くしかなかったわけだから。今回のレコード契約で、自分たちのレコードが小さな町のレコード屋にも並ぶのがすごく嬉しい気がするっていうのは、そういう環境で育ったせいもあるんだよね、実をいうと」

-しかし、カレッジ・ラジオとかがあるでしょう?そういうのはあんまり聴かなかったんですか?

「アバディーンにはカレッジ・ラジオもなかったんだよ。5年ほど前にアウェンティに引っ越してからは、カレッジ・ラジオを聴けるようになったけど。でも、得られる情報が少なかったせいで、かえって自分の好きな音楽に熱中することができたというのはあるかも知れないね。パンク・ロックを聴き始めた頃のことは、今でもよく覚えてるよ。アバディーンじゃどこを捜したってパンクのパの字も見つからないんで、友達とつるんではるばるシアトルまで何度ギグを見に行ったかわからないね。自分の気に入る音楽に接する機会がなかなか得られなかったから、自分でやってやろうという気になったのかも知れない。初めてギターを弾きだした頃僕がやってたのは、すごく耳障りで暴力的な、テンポの速いスタイルの音楽だったんだ。自分では、そのスタイルは僕だけが考え出した、他の誰とも違うすごく特殊なものだと思ってた。だけどパンクを聴いたとき、ああ、こいつらも同じこと考えてるんだ、と解ったんだ」

-ガンズン・ローゼスなんかもパワフルなロックバンドだと思うのですが、ああいったハードロックバンドが発するパワーと自分達のパワーとは違う種類のものだと思いますか?

「そりゃあそうさ。彼らと僕らに共通する点はほとんどないと思うね、ただどちらも70年代のハード・ロック要素を採り入れてるというだけの話で。僕らの音楽には70年代の音楽が持っていたパッションがあるけど、ガンズン・ローゼスにあるのはファッションだけだろう?彼らが、当時の音楽に込められていた情熱を持っているとは、とても思えないね」

-メジャー・デビュー・アルバムでは、ノイジーなギターロックをやるインディー・バンド特有の「インテリ臭さ」というか、前衛的な要素がなくて、ストレートでタイトな聴きやすいサウンドになっていると思ったのですが。

「そうだね、僕らは常にポップな曲を書こうと心がけてる。だけど、パンクの中にもポップな曲はたくさんあったわけで、パンクとポップにそれほど大きな違いはないというのが僕の意見なんだ。確かに僕らの曲は、ソニック・ユースみたいな同系統のバンドに比べればかなり聴き易く感じられるかも知れないけど、それはたぶん僕らが77年のパンク・ロックへの回帰を目指しているところからくるんじゃないかな。つまり、僕らの目指しているのは、ハード・ロックとポップ・ミュージックの融合ということなんだよ」

-なるほど。ところでソニック・ユースが来日したときにインタヴューしたんですが、キム・ゴードンがあなた方を高く評価していたんです。自分達のやっている音楽のどんな部分が彼らにウケたのだと思いますか?

「さあねえ…でも、確かに僕らのことを認めてくれるミュージシャン仲間はけっこういるみたいだね。何だか照れ臭いな、僕らの方が尊敬してる相手からそんなこと言われるのは。でも、すごく嬉しいよ。ソニック・ユースとは2回一緒にツアーしたことがあって、随分仲よくなったんだ。彼らと僕らの関係に限らず、インディーズやオルタナティヴ系のバンドのほとんどはお互いのことを心から尊敬して認め合っているね」

-それにしても同じゲフィン・レコードとメジャー契約して、ツアーも一緒に回って、あまりソニック・ユースと親しくし過ぎると、「ソニック・ユースの弟バンド」みたいなレッテルを貼られちゃう可能性もありそうですが、かまわないんですか?

「全然。いいねえ、"弟バンド"なんて(笑)。そういうレッテルなら大いに貼ってもらって結構だよ(笑)」

© Hiroyuki Suzuki, 1992